GP JOURNAL

奥谷プロデューサーに聞いてみよう!業界45年のベテランから見た『イベント業界 今昔物語』

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“GP TECH” generating now…

こちらの要約文はAIによって生成されたものであり、情報の正確性を保証するものではありません。

日本国内だけでなく海外市場も含め、業界の昔から今を長く深く知り尽くしているイベントプロデューサー奥谷さん。顧客だけでなくチームメンバーからも愛されるGPの重鎮・奥谷さんのパーソナリティに触れ、イベント業界の今昔物語、変わったもの・変わらないものについてお話を伺います!

GLOBAL PRODUCE イベントプロデューサー 奥谷夏朗

Q.奥谷さんの経歴について

イベント業界でのキャリアは45年ほどになります。
たまたま、中学の同級生に楽器屋の息子さんがいるなど、音楽に縁があったことで高校時代にコンサートツアーのスタッフバイトに参加し、それからずっと業界に所属しコンサートツアーで全国を回っていました。
大学に入ってからは契約社員になり有名アーティストのコンサートツアーに参加させて頂いていたので、大学には籍だけ置いて、1年の半分は海外にいるような状態でしたね。
私がイベントに関わり始めたころは制作会社が、現在ほど存在していなかったので、下積みからずっと著名な案件を経験させていただきました。また、当時一緒に頑張ったメンバーが海外も含めて業界の上の方にいるので、今は非常に仕事がやりやすくなっています。

Q.企業イベントに関わったキッカケは何ですか?

元々、企業イベントはアーティストのイベントに連動して行われていたんですよ。彼らのコンサートに合わせてスポンサーのイベントが行われました。あるいは、ラジオのイベントを手掛けていた縁でスポンサー企業イベントの依頼が入ったり、当時アリーナのスポンサー等、繋がりから相談がきたり……という感じです。ただ、当時の企業イベントは社員向けではなく、一般向けに社員が参加するというスタイルが中心で、コンサートと企業イベントに違いはあまりありませんでした。違いといえばコンサートは仕切っているのがイベントのプロ、企業イベントは仕切っているのがイベントの知識があまりない企業の担当者が多かったくらいです。
当時、芸能界とビジネスイベントを結びつける活動をしている先駆者がいたので、そこに行って企業イベントのノウハウを学びました。当時は企業の垣根を越えて教えたり教わったりが活発に行われていたので、そこでネットワークが構築されていました。その縁は今も続いています。

イベントプロデューサー 奥谷夏朗 インタビュー

Q.GPに入ったキッカケは何ですか?

前職で某ロックスターののクラシックコンサートをゼロから作り上げたときに、自分の中で「ひと段落ついたな」と感じていて、同時にインターネットやSNSの流行で色々なものの考え方が変わっていくのを肌で感じていて「芸能界、コンサート業界だけやっていても大丈夫だろうか」という思いが芽生えてきました。一区切りつけよう、ここまでやらせてもらえたから辞めようと決めました。色々なところから声をかけていただきましたが、音楽芸能界が長かったので、転職先は芸能界以外にしようと考えていましたね。
GPとは仕事の縁で光畑社長や創業メンバーと面識があり「人間関係がしっかりできている良い会社だな」と思っていました。ずっと仕事をしている中、色々なところで人間関係、信頼関係が薄れてきてしまっているなと感じていたので、GPはすごいなと。打ち合わせの際に光畑社長にその話をして「会社を辞めたら行きます」と声をかけたところ、それならと声をかけていただいたという流れです。

Q.奥谷さんから見て、GPのいいところはどんなところですか?

お客様の求めることに沿ったプラスアルファを提案できていることですね。光畑社長はそれをクリエイティブと位置付け、GPの強みだと思います。100点が求められているところにそれ以上を提案・実施している点が評価され、継続案件をいただいているという印象です。この点は社員にも浸透させていますし、企画は光畑社長が最後に必ずチェックすることでGP全体に芯が通っていると思います。

Q.イベント業界で40年以上活躍されていますが、昔と今で変わったことはありますか?

イベント業界を取り巻く環境はどんどん変わっています。特にインターネットの登場、翻訳ソフトの発達で連絡が取りやすくなり、アポイントや相談が非常にしやすくなりましたね。
また、動画制作などの技術部分は変わりました。YouTuberなど芸能界出身ではない人とクロスするようになったり、3D制作にゲームのソフトが使われるようになったり、DJの技術がクロスオーバーしてきたりと変化しています。
一方、実際の現場でやっていること、舞台の作り方や企画は、私がイベント業界に関わり始めたころから、ほぼ変わっていません。例えば、スピーカーはかつて非常に大きくて重かったのですが、いったん小さくなり、また大きさが戻ってきました。照明機材は発光部分がLEDに変わりましたが、形態自体は変わっていません。映像もプロジェクターがない時代から関わっていましたが、現場での使い方は変わっていません。
出来上がったもの、表向きに見えているものの裏側にはたくさんのプロが必要不可欠であり、だからこそ制作会社やイベンターが存在しているという点は今も昔も同じです。

イベントプロデューサー 奥谷夏朗 仕事中イメージ

Q.海外でもイベント業務に携わっていたのですか?

20、30代のころ、仕事の都合でアジア各国やハワイに長期間滞在していました。1980年代には年末のTV中継のために作ったライブハウスの初期稼働で長期滞在したことがありますし、2000年に海外がビザなしで行けるようになったのをきっかけにハワイインセンティブツアーが大ブームになったときは現地法人の立ち上げを手伝ったりしました。

Q.現在でも仕事で英語は使いますか?

はい、使います。英語は現場で覚えざるを得なかったので、非常にブロークンな英語が身についています。ただ、ずっとイベント業界にいたので専門用語は通訳よりも知っているみたいですし、現地スタッフとの意思疎通のコツというか、共通言語は教えて頂いたので助かっています。現場で使う専門用語は何十年たっても変わらないんですよ。なので、現地のプロとやり取りする場合は通訳を使うよりスムーズになることも多いみたいです。

Q.イベント業界について、海外と日本で違いはありますか?

GPのようにイベント関係者をまとめ、クライアントに対面しているスタイルの会社は日本独特だと思われます。海外は社内にクリエイティブ担当がいて様々な会社に直接連絡を取ったりしますが、日本は代理店はあるものの、自社内でイベントのインフラが揃っているところは少ないです。一方、海外でも日本でも、打ち合わせの内容やイベント制作のプロセス等は変わりません。かっこいいクリエイティブが目で見える、後に残るようなイベントには先鋭的な会社が関わっている事が多いです。

Q.海外でのビジネス展開について、どのように考えていますか?

海外でも、イベントそのものの作り方は変わりませんから、海外事業部を育てることも大事だと思います。ただ、気を付けなければならないのが「その国の生活水準が日本とイコールの国とでないと、金額面で成立しにくい」という点です。例えば、同じアジアならシンガポールやインドネシア、香港、韓国などとは、可能性が高いと思います。技術の発展によって、色々なことがボーダーレスになってきているので、これからはどんどん距離が縮まってくるのではないでしょうか。GPが市場を牽引していけるといいですね。

イベントプロデューサー 奥谷夏朗 インタビュー

GP STAFF:奥谷 夏朗

COMPANY会社のこと

公開日:

2024NOV

08

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