古典作品を美しく蘇らせるマシューボーンの野心作『ロミオ+ジュリエット』
ChatGPTで要約する
こんにちは!GP大平です。
先日、マシュー・ボーン演出の『ロミオ+ジュリエット』が日本で上演されました。マシュー・ボーンは、白鳥役を全員男性ダンサーに躍らせた『白鳥の湖』など、バレエの古典作品を大胆な解釈で蘇らせてきた英国の演出・振付家です。そんな彼が2019年世に放ったのは、誰もが知るシェイクスピア悲劇の名作『ロミオとジュリエット』です。本作品をたっぷり堪能してきましたので、その魅力を皆様にお伝えしていきます!
マシュー・ボーン版『ロミオ+ジュリエット』
マシュー・ボーン版『ロミオ+ジュリエット』の舞台は、14世紀のイタリアではなく、反抗的な若者たちを収容する矯正施設“ヴェローナ・インスティテュート”。
監獄のような殺風景な舞台セットに立つのは、真っ白な服を着せられた若者たちです。ダンサーたちの感情や音楽に観客を全集中させ、余計なことは考える余地を持たせないようにする工夫が窺えました。そして、原作ではジュリエットに密かに想いを寄せる従兄のティボルトが、ここではジュリエットを蹂躙する看守であり、2人の恋人たちを支援するローレンス神父は女性に、そしてロミオの親友であるマキューシオはゲイとして描かれていました。
原作で描かれる両家の対立もありませんが、パワハラやセクハラなど理不尽な抑圧の中で若者たちが抱える生きづらさは、原作と共通のテーマでした。原作をよく知っている方からすると、当作品は全く別の物語として映るかもしれませんが、物語が伝える本質的なメッセージは全く同じように感じられました。
バルコニーシーン
私が最も魅了されたのは、恋に落ちたロミオとジュリエットが幸せの絶頂で踊るパドドゥシーンです。原作では「あなたはどうしてロミオなの?」でお馴染みのバルコニーのシーンに当たるでしょう。このシーンの何が凄かったかというと、セリフが一切無い中で2人のダンサーの素晴らしい表現によって、若い男女がどれだけ惹かれあい夢中なのかが伝わってきたことです。お互いがタイミングを見計らい躊躇しつつも、いつの間にか引き寄せられその後離れられない様子を表現した振り付けが、まさに恋の始まりという感じで、2人の胸の高鳴りがこちらまで伝わってきました。2つの魂が惹かれあい引き寄せられていくこの幸せ絶頂のシーンがあることで、その後の悲劇をより際立たせたと言えます。
カーテンコール
こちらは、撮影許可が出たカーテンコールで撮影したものです。真ん中の男女がロミオとジュリエットを演じたダンサーで、真っ白な衣装が最後は真っ赤な血で滲んでいました。若者たちの心が壊れていく物語終盤は、現実から逃げ惑うように走り回ったり這いつくばったり、あてもなく同じ動きを繰り返したりする独特な振り付けによって、若者たちの苦しみや混乱が見事に表現されていました。等身大の若いダンサーたちが演じたことで、恋の興奮や葛藤、苦しみがダイレクトに伝わり、目の前の舞台に没頭できた95分間でした。
まとめ
バレエやコンテンポラリーにはセリフがなく、ダンサーたちの表現と音楽のみで構成されるため、何を表現しているのか理解しにくく退屈になってしまう方も多いかもしれません。しかし、私はこの舞台を通じ「芸術とは人が何とかして想いを伝えようとする過程で生まれるコミュニケーションのようなものではないか」と感じました。
マシュー・ボーンの『ロミオ+ジュリエット』は、現実に起きているメンタルヘルスや性的虐待、マイノリティへの差別といった社会問題を示していました。こうした社会問題は、多くがコミュニケーション不足により起こるものだと考えられます。人の気持ちは予測不可能で目に見えないからこそ、コミュニケーションをとろうとしなければ簡単に拗れ、やがて大きな社会問題に発展してしまいます。一方で、芸術は完璧な絵を描いたり、正確な型で踊ったりすることだけでなく、自分の気持ちを何とか人に伝えようとして出来上がった、一見理解しがたいものでもあります。誰かが何とか伝えようとしたものを、受け手も何とか理解しようとする、人と人とが真摯に向き合ったからこそ感じるものがある、芸術とは、人間の意思疎通に起因するものであるから、人は芸術を求め、芸術にこんなにも感動できるのではないでしょうか!